個体差があり、海外製のブランドで特にmade in USAのオットーリンク、メイヤーなどはどれも変色などが見受けられます。デュコフにおいては一見綺麗な印象を受けますがゴールドなどのメッキ品と違い変色などではなく表面にうっすらとまだら模様(迷彩柄っぽい)のようなものが見受けられます。これは仕上げによるもので製品不具合ではありません。また内側は表面の仕上げのようにツルツルピカピカの仕上げではありませんので工業製品的な表面の粗さがあります。どちらも画像でご確認いただけると思いますのでご理解をお願いします。
Bobby Dukoff tenor saxophone metal mouthpieces Chamber D ボビーデュコフ テナーサクソフォン用 メタル マウスピース Dチェンバー
ボビーは1954年から1960年代の初頭までRCA Victorにとって1956年のベストセラーとなった"Sax and Silk" およびその年のアルバム売上トップ10のひとつを含む膨大な量のアルバムを作りました。 他のアルバムには "Sax and Satin", " Pure Sax" そして "Off the Cuff" などがありました。フロリダに移り、ケンドールにある自宅のスタジオを含め数々のスタジオを持ち、マイアミで最初の音楽スタジオとなりました。 彼はまたノース・マイアミの荒れ果てたフードフェアのビルの一角に開設しました。
このビルは60年代には「聖地」となり、次のNo.1ヒットのレコーディングを目指す10代の若者や若手のバンドが集う有名なナイトクラブの一つとなりました。 1973年にティミー・トーマスが"Why can't we live together"でそれをやってのけました。ボビーのスタジオでたった5分でレコーディングしたこの曲がNo.1ヒットになったのです。ジェームス・ブラウンもまたデュコフ・スタジオで数々のレコーディングをしています。
正規品。アメリカ製のジャズ系マウスピース。リガチャー、キャップが付属しています。
個体差があり、海外製のブランドで特にmade in USAのオットーリンク、メイヤーなどはどれも変色などが見受けられます。デュコフにおいては一見綺麗な印象を受けますがゴールドなどのメッキ品と違い変色などではなく表面にうっすらとまだら模様(迷彩柄っぽい)のようなものが見受けられます。これは仕上げによるもので製品不具合ではありません。また内側は表面の仕上げのようにツルツルピカピカの仕上げではありませんので工業製品的な表面の粗さがあります。どちらも画像でご確認いただけると思いますのでご理解をお願いします。
Bobby Dukoff tenor saxophone metal mouthpieces Chamber D ボビーデュコフ テナーサクソフォン用 メタル マウスピース Dチェンバー
いわずと知れたジャズマウスピースの定番品デュコフはチェンバー内の独特なカーブを作り出す事に成功し、音のスピードと様々な要求に応えられる音色を作り出す事が出来ます。 エッヂが効いたその独特のサウンドは、ロック、フュージョン、ソウル、ファンク、ジャズなど幅広いジャンルで活躍できます。シンプルなモデルラインナップでチェンバーの違いで4種類、あとはティップオープニングの違いでお選びいただけます。チェンバーの違いといっても「D」チェンバーが定番で手に入りやすいものとなります。(他は受注生産品のような状況)
モデル名 / TIP OPENING ティップオープニング mm(インチ)
D8 2.92mm (115インチ)
「D」チェンバー
バッフルの高さやチェンバーの深さによって、明るい音、クリアーな音、まとまった音などサウンドに違いが出ます。
焦点が定まった音の広がりにより、倍音が大量に混ざり合い豊かで深みのある音色が得られます。
「D」チェンバーは、真に際立った音が出せる、かの有名な「Dukoff」サウンドを体現しており、ソロ演奏、リード・プレイなど、聴かせたい場面で理想的なマウスピースです。
※装着できないなどの返品/交換不可。細かい仕様が画像と変わる場合がございます。
ティップオープニングラインナップ
モデル名 / TIP OPENING ティップオープニング mm
5 2.16mm (85インチ)
6 2.41mm (95インチ)
7 2.67mm (105インチ)
8 2.92mm (115インチ)
9 3.17mm (125インチ)
※ミリ:小数点第三位を四捨五入。インチ:1/1000インチで表記。
チェンバーラインナップ
▼「D」チェンバー
バッフルの高さやチェンバーの深さによって、明るい音、クリアーな音、まとまった音などサウンドに違いが出ます。
焦点が定まった音の広がりにより、倍音が大量に混ざり合い豊かで深みのある音色が得られます。
「D」チェンバーは、真に際立った音が出せる、かの有名な「Dukoff」サウンドを体現しており、ソロ演奏、リード・プレイなど、聴かせたい場面で理想的なマウスピースです。
▼「M」チェンバー
このマウスピースは「D」チェンバーで得られるものは全て備わっていますが、サウンドはより落ち着いています(言い換えれば、あまり明るくないということです)。「M」チェンバーは、「D」チェンバーと比べて、僅かですがより丸みがありまろやかなサウンドをしています。
確かなことは、よりワイドな音の広がりを持っているということです。アンサンブル演奏ではより音がブレンドします。
※特別注文商品になります。
▼「L」チェンバー
これは特殊モデルのマウスピースですが、「より落ち着いた」音という特徴を持ち合わせています。
非常に豊かで分厚いサウンドで、アンサンブル演奏では驚くほど音がブレンドします。
※特別注文商品になります。
▼「X」チェンバー
このマウスピースも「D」チェンバーとの類似性がありますが、「最も落ち着いた」音をしています(言い換えれば、明るさは最少ということです)。
全モデルの中で音の広がりは最大で、アンサンブル演奏で最もブレンドするでしょう。
※特別注文商品になります。
ボビーデュコフについて
ボビーは豪快なテナーサックスの演奏スタイルを様々な音で開拓した人物として、世界中のレコード・バイヤーの間で良く知られる存在となりました。
R.C.A.Victorから出したアルバム"Sax and Silk" がベストセラーになったことでトレンドの始まりとなり、多くのアルバムが後に続きました。
ボビーはマウスピースの構造力学の虜になっていました。なぜなら、彼は「音の始まりはマウスピースである」と認識していたからです。
彼はカリフォルニアの一流ライブショーで演奏をする傍ら自宅のガレージで実験を開始すると、瞬く間にビッグバンド時代の仲間が皆押し寄せ、自分のマウスピースをボビーにちょっと「手直し」してもらうようになりました。
彼自身のマウスピース・ビジネスはこうして自然に始まり、今日では当時の「初期カリフォルニア・モデル」は収集家が狙うお宝になっているのです。
根っからの好奇心の持ち主であるボビーはコンスタントに実験を繰り返し、優れた製品を世に送り出していきました。
ボビーが作るマウスピースはそれぞれ独自のキャラクターを持っており、正しいマウスピースをプレーヤーのスタイルに合わせて調整することが彼の願望でした。
ボビーは現役のミュージシャンとして、日々の仕事で遭遇する問題点を良く承知していました。
1930年代の後半、彼はニューヨークのデューク・デイリーバンドで演奏活動をスタートさせ、その後、カール・ホフ・バンドに移って活動を続けました。
その後、ニューヨークに戻り、ジェリー・ワルドバンドに加わることになりました。次にジミー・ドーシー・バンドに入るためジミー・ドーシーとコンタクトを取り、そこで最初の妻となるアニタ・ボイヤーと出会います。
彼女はジミー・ドーシー、トミー・ドーシーおよびアーティー・ショーとレコーディングを共にした歌手でした。
それから、彼はベニー・グッドマン・バンドに入りニューヨーカーホテルで仕事し、そこでは、フランク・シナトラと共演するという楽しみを得ました。その後、数々のビッグバンドと共演するためカリフォルニアに移住しました。
ボビーがこんなこと言ってます。
「ある日の夜のことですが、バンドの演奏ステージに戻っているときに、誰かが私の楽器をたたいてキャップがマウスピースに食い込んでしまったのです。あれであのマウスピースはお陀仏になりました。
あの日から自分でマウスピースを作り上げるまで、マウスピース探しに明け暮れました。」
彼は自宅のガレージで実験を始めると、バンド仲間が全員押しかけてくるようになり、できあがったマウスピースを次々と試していきました。
彼は音が出るしくみを実感すると、マウスピースの構造力学に魅了されていき、彼のマウスピース・ビジネスはこうして自然な形で始まったのです。
1943年に初めて作られた彼のマウスピースは、他と違った音色・音量・音の遠達性を持っていました。ボビーの根っからの探究心によりコンスタントに実験を続けたところ、より良い製品が生まれたのです。
ボビーのマウスピースには独自性があり、プレーヤーのスタイルにマウスピースを適合させたいという願望がありました。彼は1945年から1949年までカリフォルニアでマウスピースを作り続けています。
ボビーはニューヨークに戻りRCAとソロ・アーティストとして契約を結びました。その後、彼はRCAで音響技術者になりチャーリーパーカーを含む著名なアーティストのレコーディングに取り組みました。
ボビーは1954年から1960年代の初頭までRCA Victorにとって1956年のベストセラーとなった"Sax and Silk" およびその年のアルバム売上トップ10のひとつを含む膨大な量のアルバムを作りました。
他のアルバムには "Sax and Satin", " Pure Sax" そして "Off the Cuff" などがありました。フロリダに移り、ケンドールにある自宅のスタジオを含め数々のスタジオを持ち、マイアミで最初の音楽スタジオとなりました。
彼はまたノース・マイアミの荒れ果てたフードフェアのビルの一角に開設しました。
このビルは60年代には「聖地」となり、次のNo.1ヒットのレコーディングを目指す10代の若者や若手のバンドが集う有名なナイトクラブの一つとなりました。
1973年にティミー・トーマスが"Why can't we live together"でそれをやってのけました。ボビーのスタジオでたった5分でレコーディングしたこの曲がNo.1ヒットになったのです。ジェームス・ブラウンもまたデュコフ・スタジオで数々のレコーディングをしています。
1974年、ボビーはマウスピース・ビジネスを再開し、フロリダのケンドールにある工房で新しいモデルをフル生産し、最近までそのビジネスを続けていました。
1990年代になると、彼はニコラス・ヘルナンデスという若い見習いを雇いました。後に彼は親友となり、ビジネスパートナーとなり、ボビー・デュコフという手作りのマウスピースの生産を許可するまでになりました。
60年以上に渡って、デュコフのマウスピースは、デクスター・ゴードン、ブーツ・ランドルフ、マイケル・ブレッカー、ディビッド・サンボーン、ケニー・Gといった偉大なサクソフォン・プレーヤーやその他大勢の世界中のアーティストの類まれなサウンドを創造することに寄与しているのです。
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